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蝉の声が響いている
冷房の効いた室内にまで響いていくるその声は
季節に合わない温度の場所にいても尚、季節を感じさせる
「…ふぅ、こんなとこかしら…」
加奈枝は目を通していた書類の束を分別しフォルダに挟んだ
銀誓館学園に入学してから、学園近くの空き家を借りてそこで住むようになっても実家の雑務はまわってくる
最も、この書類も実家に送り返したあと父のチェックが入るのだけども…
『してみせて、言ってきかせて、させてみよ』
加奈枝の家は代々このような方針である
そのため、いくらか早い段階から親が行っていた家の仕事を行うようになるのだ
加奈枝も中学の頃から実務を見学させられ、簡単な仕事から任されてきた
加奈枝の生まれた御堂家は目立たぬまま細々と続いてきた旧家であり
現在は小さな物産業を営んでおり、各地の産出物を仕入れては市場に流すことで金をまわしている
ごく稀に自ら商品を作り売り出すこともあるものの
どれも大きく取り上げられずかといって赤字にもならず、適度に収益を回収した後にひっそりと生産を中止というサイクルを行い
この会社は奇跡的なほど無難に運営され続けてきている
これは恐らく『運命の糸』というものがそういう風に働きかけているのだろう、と加奈枝は考えていた
父も、そして祖父も、目立つことを好しとせず、ひたすら日陰に徹することを好む人であった
おそらく先祖も代々そのような人であったのだろう
加奈枝自身も、好戦的ではあるものの後に引くような派手さは好まなかった
(…だからこそ、ここまで続いてきたのかもしれないですね)
家とともにもう一つ受け継がれてきた古武術を思う
この古武術も元々御堂家のものではなく、先祖が知り合いに頼まれたことで受け継いでいくことを引き受けたのだと言う
争いの無い時代になり大規模なものを除き殆どの武術の流派は途絶え、その技も忘れられてしまっている
そんな中も細々としていながら確実に現代まで残っているのだから
その当時の先祖の知り合いの判断は正解だったのだろう
書類を封筒に入れようとしたところで玄関の戸を叩く音が聞こえる
「おーい、加奈枝いるかー?」
ここへ引っ越す際についてきた友人が訪ねてきたらしい
最初は同居を提案したが、「息苦しいから」と、彼女は今は近場の安アパートの一室を借りている
しかし実家に住んでいた頃と同じく彼女が自宅に帰ったところをあまり見たことは無い
半ば諦めている彼女の両親の顔を思い出し、ふっと笑みが漏れた
「開いてますよ!」
玄関へ向かいながらそう答える
赤みがかかり外に跳ねた短い髪、人の視線を気にしていないような胸元をひらいたラフな格好、そしてワンパク盛りの少年のような顔
加奈枝の友人の高瀬・樹が玄関を開けて入ってきた
「加奈枝ー、風呂借りていいかー?」
「脱衣場を水浸しにしないならね」
土まみれな格好にボサボサの髪、腕には擦り傷
(全く…今度は何処で何をしていたのやら)
イツキは自宅に帰らない時は大抵が山かどこかの町に出かけている
とにかく体を動かさないと落ち着かないらしく、山は悪路の移動を楽しむため、町はストリートファイトを楽しむために訪れているらしい
年頃の女性がこんなもので良いのだろうかと思う反面、自由に生きているイツキのことが眩しく見えたりもする
そんな彼女と自分がめぐり合ったのも思えば不思議な縁である
きっかけは、中学の頃の買い物の帰りだった
近道をしようと細い路地を通ったときに出会ったのだ
イツキはその地域をまとめているグループと殴り合いをしていた
イツキは校内でも喧嘩早い人物として有名だったので無関係の人を殴っているのかと勘違いし力づくで止めに入ったのが始まりだった
後で聞いてみるとこれは正式に「勝負」として挑んだ、互いに了承した上での喧嘩だったのだそうだけども…
ともかく、それから腐れ縁が始まった
最初はイツキの方から「お前強いな!もう一回戦ってくれ!」と付きまとってきた
少しでも強い相手を見つけるといつもそうやって付きまとっていたらしく、
喧嘩早いという噂の元になっている殴り合いも、半分は互いに望んだ上での喧嘩、
そして残り半分はその付きまといに我慢できなくなった向こうから仕掛けた喧嘩だと分ってきた
平凡な家庭で育ちながらも、小さい頃に不思議な老人に会ったのをキカッケとし戦いを娯楽として楽しむようになったと聞いている
戦いを楽しいものだとする意見に理解すると同時に、今はそれが一番の娯楽であることは損をしているとも思う
(銀誓館学園に来るときにイツキも一緒に誘ったのは良かったのか悪かったのか…)
ああ見えて、イツキは稀に年頃の女性らしい反応をすることもある
何をもって人並みというのかは断言できないけれど…
人並みの人生というのを送ってもらいたいと、友人として思う
昔に比べるとだいぶ良識がついていきてはいるから、そう難しくはないはず
たぶん、戦い以外での他人との付き合いの経験が多く必要なのだ
バスタオルの用意をしながら、そんなことを考えている自分に気付き思わず苦笑してしまった
どうにも、世の中に溶け込む目立たない生活を好しとする癖が身についている
これは血筋なのか家庭環境なのか…
しかしこのまま、喧嘩が価値観の大半を占める生活を続けたまま年齢を重ねるのは
いい事ではないと思う
「お互いに、楽しい学園生活を送りたいものですねえ…」
響く水音を聞きながら、加奈枝はそう独り言を呟いた
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