「時間もらえるかな」
放課後、帰る支度をしていると聞き覚えのある声がかけられた
振り返ると艶やかな黒髪に感情が見えない表情がこちらをじっと見つめている
「柳瀬…睦月さん…?」
確か、私がこの学園に入学して最初に声をかけてくれた人だった
しばらくは頻繁に共にゴーストタウンへいく仲間だったが私の友好関係が広がると彼女との接点は無くなっていた
学園と他勢力との戦がある際に同じ戦場に立つことはあるものの
元々私から声をかけることがなかったため、こうしてむこうからやってこなければ2人で会話をする機会はほとんど無い
「フェンリル討伐の出発の前日で忙しいだろうけれど…少し話がしたい」
そう言いながら、彼女はその目をじっとこちらに向けてくる
真面目な話があるのだろう
屋上へ移動した
空気はまだ十分に冬の余韻を残して冷たく
早くも紅色に染まる空はまだ寒い季節であることを告げている
屋上に移動すると彼女はイグニッションカードからギターを取り出した
「君に聞いて欲しい、本来は…キーボードのパートもあるんだけどね」
そう言うと、その細く白い指で音を奏で始めた
どこかで聞いたことがあるような…
記憶の底に引っかかる何かを感じていると透き通った声が響いた
♪~
僕たちは どこへ行くのだろう
決められた 線路の上に 手探りで
見渡す 世界は 小さくて見えないけど
きっと一人じゃ 歩けないんだ
いつかきっと ここから羽ばたくため
力つけ 空の向こうへ
今は決められた道 だけど
きっと 準備のための道だから
今はまだ 翼暖め
二枚の翼で 歩いてゆく
~
歌と演奏が終わると、彼女はいつもの無表情でこう聞いてきた
「2人で1対の羽だそうだ、この作詞は私の友人、曲は私」
こちらを見つめ、続ける
「作詞した人はあなたもよく知っている人だ」
『よく知っている人』
この言葉が引き金になり「どこで聞いたことがあるのか」を思い出した
双子の姉、伊吹が練習していた曲がこれに非常に似ていた
脳裏に毎日のように聞こえていた電子キーボードで練習する音がよみがえる
「…伊吹…」
思わぬところで過去に触れられて涙腺が緩んだ
「彼女に聞いていた通り、君は一人で抱え込む癖があるようだ
私の友人はそれをとても気にしていた」
彼女は赤く染まる雲を見つめながらつぶやく
「何度か戦で同じ場所に立ったときに、戦い方が気になっていてね
…フェンリル討伐に行く前にこれを伝えたかった、
分かっていると思うけど…あなたは一人じゃない
帰る場所があることを覚えておいて…でないと伊吹が悲しむ」
いつ用意していたのだろうか
温くなった緑茶のペットボトルが差し出された
受け取ると、睦月さんは柔らかい表情をしていた
「…さて、では私はこれで失礼するよ」
「あ…待って!」
思わず呼び止めてしまった
呼び止めて私は何をしたいのだろう
私の知らない伊吹のことを聞きたいのか
それとも私を当時の伊吹の変わりにしてほしいのか
「失ったものは戻らない、でも似たようなものなら再び作れる」
迷っていると、彼女はこう言ってきた
「今の積み重ねが未来だ、なら過去はなんだろう?
私はこう思う、かつての今が積み重なったものだとね」
手にしたギターの弦を再び撫でていく
薄紫に染まっていく空間に音が一つ響き渡った
「たとえその過去に未練があったとしても…いや、あるからこそ
一歩を踏み出していかなければ無駄になってしまう」
生み出された音は次の音につながり、重なり、一つの即興曲になっていた
とても穏やかで全てを包み込むような静けさと居心地のよさを感じる曲だった
「音楽と同じだ、音を繋げなければ終わってしまう
過去の音に意味を持たせたいなら、それを活かす必要がある
伊吹は君に生きて欲しいはずだ、私はその過去に意味を持たせたい」
何も言えなかった
何かを言いたかったはずなのに
「今ふりかかっているこの巨大な火の粉は振り払うべきだ
だが今を生きてこれからに繋げることも優先してほしい
滅ぼすための戦いよりも、生きるための戦いを」
彼女の言葉を聞くうちに頭が真っ白になっていく
「生きる…ための戦い…」
私は今まで何のために戦っていただろうか
守るため、そのための行動として何に重きを置いてきたか
相手を滅ぼすことしか考えていなかったのではないか
懐かしさ、悲しさ、そして何より自分が考えてもいなかった言葉を投げられたこと
さまざまな精神的な衝撃が頭を揺さぶってくる
気持ちも考えもまとまらず、そこに立ち尽くすことしか出来なかった
気がつくと屋上で一人で立っていた
手にはすっかり冷めてしまったお茶がある
冷めてしまっているはずなのに
そのお茶は口に含むと温かく感じた
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