飼い主に恵まれ、人間に慣れた猫がいた
その猫は飼い主が死に親戚に貰われていくも、その先で物のような扱いの虐待を受け
動けなくなるとそのまま路地裏に捨てられてしまった
そんな「人間に裏切られた」恨みと悲しみがゴースト化し
息を引き取った路地で人間への復讐の機会を伺っている…
「…悪いのは…全面的に私たちヒトの方です…」
話す声には迷いがあるように見える
「…でも、このまま放置しては多くの関係ない人が被害にあってしまいます
今はまだゴースト化したばかりで力は弱いみたいです…どうかお願いします」
「…解りました」
答える早苗の声にも力がなかった
それは倒す相手への同情の他にもう一つ理由があった
今回の目的の場所は、二年前に早苗が能力者連続殺人事件の犯人に襲われた場所だったからだ
そこは双子の姉の、伊吹と死に別れた場所だ
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二年前、二人は買い物の帰りだった
「嬉しそうですね伊吹」
「あたりまえよ、だって良い布が手に入ったのですもの」
なんでもキーボードの鍵盤を手入れするのに相応しい、専用の布らしい
早苗にはその布の価値は理解できなかったが伊吹の上機嫌な様は見ていて気分が良かった
「近いうちに隣町の公園でむっちゃんとゲリラ講演をする予定もあるのよ」
しかし同時に早苗は心に引っ掛かるものも感じていた
この感情は、きっと嫉妬だ
伊吹は人目に着かない静かな場所で、
木々のざわめきと共に楽器の練習をするのを最近の趣味としていた
その練習の中、三ヶ月ほど前に「むっちゃん」という同じ年の子と知り合い
それ以来、土日は必ず出掛けては一緒に歌を歌ったり演奏をしたりしているそうだ
(私の知らない伊吹が増えていく…)
いつか一人になってしまうのではないか
そんな恐怖と、まだ見ぬ「むっちゃん」に伊吹を盗られてしまう
という気持ちが早苗の中で渦をまいている
(…もし私が居なければ、伊吹は毎日でもその友人と会うのでしょうか
もしそうなら私はただの枷…
こんな気持ちを持ち続けるならいっそ…)
最近はそんな考えが頭を過ぎる
「…なえ、早苗、止まって」
伊吹の声で現実に引き戻された早苗は何事かと伊吹を見る
伊吹の視線は真っ直ぐ前を見据えていた
ジャリ…
その視線の先には、刃物を持った男
服の隙間からは見える肉はそれが生きている者でないことを告げている
「リビングデッド…でもどうしてここに…?」
桐崎の家が代々退魔を生業としてきたことから早苗と伊吹は知識としてこのような存在は知っていた
しかしなぜ、廃墟と縁がない日常的に使用している道に現れたのか…
生まれて初めて見たその存在に、早苗はまるで夢の中の様だと思った
ジャリ…
焦点の合わない瞳だが、相手は間違いなくこちらを認識し歩み寄っている
「早苗、逃げましょう」
早苗の手をとり駆け出す伊吹につられて、早苗も走り出した
すると背後の足跡が歩くものから走るものへ変化する
「伊吹…!」
「…分かってる!」
相手は予想以上に速い
細い裏路地に入り、ごみ箱を倒して障害物を作りながら道を曲がり逃走する
しかし振り切れない
「…!」
早苗の腕が掴まれた
「早苗!」
「伊吹…!」
(ああ、でもこれで私が死ねば…)
そんな考えが浮かんだとき、早苗を掴む死人の腕が緩んだ
振り向くと、顔面に呪殺苻を受け怯んでいる
早苗はそのまま伊吹に引っ張られた
「早苗、大丈夫?」
苻を構えながら言う
「大丈夫…」
早苗も、携帯している苻を数枚取り出した
父の言い付けで携帯していた護身用の苻をまさか使う日が来るとは…
「…どのみち人の多い通りに出ては被害は広がります…早苗、いける?」
「…恐らく…」
不安な表情を浮かべる早苗へ伊吹は微笑みを向けた
「訓練通りにやれば大丈夫」
伊吹が大丈夫と言うと、本当に大丈夫な気がしてくる
「父上のためにも、桐崎の者として…やりましょう、早苗」
「…わかりました、伊吹」
「ぐぁあああっ!!」
死人は顔に張り付いた苻を剥がし、怒りをあらわにしながら駆け寄って来た
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「…このあたりですね」
早苗は路地を見渡す
隅には、薄くなってはいるが未だに黒ずんだ場所があるのが見える
あの後は確か、左右に別れた後に両面から苻を投げ付けダメージを与えた
そのあと相手が伊吹を狙ったためそれを止めようと苻を投げた
相手が苻に気をとられた隙を見て、伊吹は相手の攻撃を回避しさらに苻を浴びせて…
すると相手は伊吹への攻撃を諦めたのかこちらに向かってきた
私はその時、相手の気迫に足がすくみ
そのまま拳で殴打され、倒れ込んだところを刃物で追撃されそうになり
そこへ私を庇うために伊吹が…
その直後だったのだ
銀誓館の学生が到着したのは
(…もし私がもっと強ければ…あるいは、しっかり動けていたなら…)
間違いなく銀誓館の助けは間に合い、伊吹も助かっただろう
カタ…
物音がした方を見ると、鎖で地面に繋がれた黒猫が居た
「こんにちわ」
早苗が語りかけると
猫は憎悪を感じられる表情で威嚇してくる
「人が信じられないのですよね…でも」
早苗に狐の尻尾と耳が生えた
祖母から受け継がれた妖狐の力
早苗の祖父が一族に非難された原因であり
しかし父と祖父が愛する
そんな祖母の力
…恐らく伊吹も持っていたであろう力…
「あなたを愛してくれた前の飼い主との思い出は…嘘では無いはずです…」
早苗の放った尾獣穿が猫の地縛霊の体を貫いた
相手の力が弱いため、一瞬でけりがついた
「…どうか次は良い巡りでありますように」
消えていく猫の地縛霊に対しそう言葉を投げ掛ける
この猫はきっと、孤独で淋しい最後だったのだろう
…もしあの時、伊吹ではなく
私が犠牲になっていたらどうなっていただろうか
地縛霊となってしまっていたのだろうか
銀誓館学園に保護された後、精神が落ち着いた頃に再びこの場所を訪れたが
残留思念は発生していなかった
それはある意味、早苗にとっては救いだったのかもしれない
伊吹の愛用していたキーボードはシルバーレインの降る中で詠唱兵器に変わり
暫く早苗の力になってくれたことも心の支えになった
そのキーボードは今は部屋の隅に保管している
「…失わないために…」
もっと強く…
…自らを高めたい
なんとなく、花を供えたくなり近くの花屋で小さな花束買い供えた
この花が誰に対する献花なのかは、自分でもよくわからない
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