元々は山村に住む土着の呪術集団、この頃の記録はほとんど残っていない。
桐崎家の記録にある歴史は、平安の時代にゴーストに十分対抗できる力の強い者たちがいると公家たちの耳に入ったことから始まる。
この時は既に一族の長は61代目であったとされる。
そのときに一族から一人が選ばれて都に招かれ「実之」の名を与えられて都の夜間警備の任につき、そこで実績を上げていくことで地位を築いていった。
そうした中で桐崎の氏と屋敷を授かり、一族で住まう様になっていく。
この時に桐の木と月食を意味する文様も与えられ、形を変えながら現在も家紋として残っている。
彼等はその後も一族で退魔の仕事を行い着々と地位を固めていった。
これは彼の一族が勤勉で、都にある膨大な陰陽の資料を己の技に反映させていったことも大きい。
こうして代々、公家の血筋から受けた退魔(ゴースト退治)を主な生業としてきた家系である。
桐崎家の『本家』に共通する戦闘スタイルは剣と苻を織り交ぜた戦いで
主に神秘>術式の能力で、必要に応じ旋剣の構えで気魂を強化して戦うスタイルだった。
一つに特化してはいないものの、力の不足を集団で補い柔軟に戦場に対応してきた歴史から桐崎の家は調和を特に重んじる傾向にある。
そのため大きな変化を良しとせず、特に本家の血筋は伝統を重んじることが重要視されている。
これは同時に見えざる狂気から身を守る手段の一つでもあるとされるが、実際の効果ははっきりしていない。
この伝統は特に本家と直系の者に厳しく課せられ、当主となる条件も厳しく定められていた。
まず当主となれるのは基本的に前当主の直系のみであるとされ、
他にも、魔剣士としての力があること、苻術の作成技術が優れ効果が高いこと、伝統を絶やさないこと、といった条件が求められる。
さらに、代々の当主の兄弟や弟子の内、仕事を継ぐ意志のある家を分家として迎えその組織力を保ち、忘却期も多少劣化しながらもその力を保ってきた。
分家を迎える中で様々な力が取り込まれたが能力者として戦うことを選んだ「本家の直系」は頑なに「外の血」を拒み純血を守っている。
(一度だけ、122代目当主、義之の弟にあたる
桐崎・康道が、任務中に捕獲した大陸妖狐を妻に迎えた例がある。
これが原因で康道の子孫は本家の直系でありながら、どの分家よりも権限が低くなってしまっている。
また、世界結界が形成された13世紀より以前にも、本家の直系に課せられた厳しい戒律が原因で行方をくらませた者達が居る。
近年は日本人全体の混血が進んでいるため、これからもこの規律を保ち続けるのは難しいだろう。)
また忘却期に入ってからは、成人になると呪術的な仕組みを加えた小太刀を用いて必要時以外は力を封じ見えざる狂気から身を守る技術を保持している。
しかし詠唱兵器の出し入れは行えず、イグニッションカードに比べると劣化した性能になる。
また桐崎家にはもう一つ一族で管理しているものがある。
力の強い先代の愛用品には呪術的な力がしばしば宿っており
劣化しにくく、相性の良い者が扱うと切れ味すら増す特性を持っている。
このことから、代々の当主が愛用した刀を退魔刀と名付け、本家の人間のうち相性が良い者で使用している。
現存するものは
初代の壱式
2代目の弐式
3代目の参式
24代目の質(7)式
61代目の拾式
となっている。
他のものは全てが戦いの中で破損している。
過去に力の強い者が居ても大低の場合に既存の退魔刀が使用されるため
新しいものが生まれるペースは低い。
過去に存在したものは103代目の拾伍式が最も最近のものとされている。
(しかし髭(4)式と玖式のみ破損の記録が無く、途中で管理から外れ行方が分からなくなっている可能性が高い)
現在は123代目の孝之が壱式、124代目の善之が質式、善之の妹にあたる椿が参式を使用している。
122代目の義之は既に戦いを引退しているが、かつては壱式を愛用していた。
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